ポジティブ心理カウンセラー
藤原純子(ふじわらじゅんこ)
あだ名は「ずんちゃん」
人の気持ちに寄り添い、
こころの支えになりたい
兵庫県出身の44歳。
型にはまらない、
自分らしさを大切に生きるのが
得意です。
[ 主な資格 ]
准看護師 / チャイルド・家族療法カウンセラー/ 行動心理士
わたし自身も以前は、コンプレックスのかたまりでした。
人と比べ、劣っている自分が嫌い。
周りの視線が気になって、こころの思うままに動けない。
そうなってしまった大きな出来事が、今までに「2度」ありました。
少しそのお話させて頂きたく、お付き合い頂けると幸いです。
<1度目>
~ 中学時代 ~
外見(顔)でイジメられる経験をする。
うねうねショートヘアにくせ毛、わたし自身、顔の皮膚が薄いことで
いつも頬が赤く、田舎者代表のような見た目でした。
いつしか「芋」と言うあだ名が付けられていました。
廊下ですれ違う男子に「気持ち悪い」と嘔吐するような動作をされたり、「アンパンマン!いや、あれはフグやな!おもろ~っ!」と、通りすがりに言われたりするのが日常でした。
また別の女子には、わたしが選んだ好きな服を着ていた時、
「何それ?もっと似合う服着れば?服がかわいそう」と。
そして、挙句の果てには、当時の親友だと思っていた友達にも、
「絶対あんたみたいになりたくない」と、そう言われてしまったのを、今でも鮮明に覚えています。
この時の経験で、「私って、そんなふうに見られているんや。普通に居たらあかんのや・・・」と、自分が本当に嫌になり、自分を責め、友達から嫌われたくない気持ち一心で、相手の機嫌を取ることを意識するようになりました。そしてどんどん、自分で判断する事に自信が持てなくなっていました。
こんなわたしではいけないと、はっきりイヤだ!!と口にし、
態度で示したこともありましたが、
「芋は芋らしくしておけばえんや!今さら何なん?」と、
周囲がたくさん居る場で、見下すように言い返される始末。
(芋らしくって・・なんよ、それ・・・)
グッと涙を堪え、本当に本当に悔しかった。
そこにわたしの立場や、存在価値はないように感じました。
それでもわたしは、みんなの前でいつも笑っていました。
(こんなわたしをどうぞ笑ってやって下さい。)
そんな気持ちでした。
周りに、自分自身を笑って貰うことで、わたしがここに存在している意味があるような、それが自分の役目だと自覚しているところがありました。
こうして安心感を得ていたように思います。
そうすることでしか、「自分を受け入れて貰えない」と思い込んでいたんですよね。
奥底のこころの叫び声は、自ら音量ボタンを壊していました。
同時に、自己肯定感がどん底に落ちた、そんな時期でした。
<2度目>
~ ある仕事に出会って ~
ある程度の大人になっても、自分を受け入れられないわたしのまま
でした。自信があるフリをしていました。
そんなわたしも、看護の専門学校を卒業。1度看護から離れ、興味のあった接客の道へ足を踏み入れました。アパレル業界や小売業を経て、接客をレベルアップさせたい思いで、結婚式場に勤め始めました。
同時に着物を着て仕事がしたいと、会席料理屋さんにもお世話になるも、コロナで思うように働けず・・・
もっと着物を着て仕事したかったわたしは、移動のパン屋さんに目を付け、着物を着て、パンの販売を始めたりもしました。
色々チャレンジして、自分を変えたかったんです。
これだけやってきたという自信が欲しかった。
「何でも出来て凄いね」と、周りに褒めてほしかった。認めて
欲しかった。
それが出来たなら、「変われたも同然だ」と思っていたわたしが
いました。
自分なりに乗り越えてきたわたしでしたが、乗り越えられていない
ことに改めて気付かされる、2度目の出来事に出会います。
みんなの前で